
No.159
2007.11.28
時をさかのぼること、1932年(昭和7年)。この年の日本アマチュア選手権の決勝(マッチプレー)は、成宮喜兵衛と鍋島直泰によって争われた。
当時はゴルフをするといえば、元華族か、財閥かの上流階級に限られていた。
しかし、成宮は京都老舗呉服問屋・成宮商店の跡継ぎで、いわば平民。
対する鍋島は佐賀鍋島藩の21代当主で、旧世代の価値観、士農工商のヒエラルキーからすれば、殿様と町民でダントツのピンとキリ。
その殿様と町民が、丁々発止したあげく、町民が殿様を4−3で破り、マッチプレーになって初の関西出身チャンピオンとなったのである。
この試合の後、成宮は手記を発表しているが、その中で書いてあることに、表題の「言葉」が入っている。
その部分を要約すると
〈ボールに魂を打ち込んで、アプローチするとこれが寄って、いつもは外すパットまで入った。ここまでくると、もう技術ではない。気が球を動かす。勝負に大事なことは技術ばかりではないとつくづく感じた〉とある。
この“気”とは気力であり、集中心であり、闘志であるのだろう。
ゴルフではやはり技術を超えた何かを持たなければ、名手の域には達しないのであろう。
成宮は1942年(昭和17年)にも2度目の日本アマ優勝の栄冠を得ている。
成宮は粋人でもあった。小唄や謡曲は玄人の域で、華道、茶の湯もよくした。
42年の日本アマは川奈ホテルGCで行なわれたが、この時は茶道具一式、華道用の花を持ち込み、茶をたて、花を生けて、心の平静を保ったという。
ただの老舗のボンボンではなかったのである。
■成宮喜兵衛(なるみや・きへえ 1903〜1971)
京都の老舗呉服問屋の跡取りに生まれ、ゴルフを始めたのは昭和初期の頃。関西から関東のコースへも足をのばし、腕を上げていった。日本アマは1932年、1942年の2度制している。豪放磊落、粋人で小唄、謡曲、能仕舞など玄人はだしで、また茶道、華道もよくした。戦後は関西学生ゴルフ振興に力を注ぎ、「成宮杯」を創設。酒豪でもあり、晩年はその酒で肝硬変を患い、それが命とりになった。古都の粋人ゴルファーを髣髴とさせるエピソードにみちた人生だった。
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