ゴルフの図書館

名手・達人の言葉

No.154

2007.10.24

俺が勝ったら、みんなにシャンペン奢るよ トニー・レマ

 時は1962年、メサバーデCCにおけるオレンジカウンティ・オープン。

 その頃のツアーは、国民的ヒーロー、A・パーマーに、後に帝王と呼ばれるJ・ニクラウスが挑戦するといった図式で、大いに盛り上がり、メディアも加熱していた。

 試合が終わると人気選手はプレスインタビューに呼ばれる。
 トニー・レマもそんな人気選手の一人に数えられるようになっていた。

 そのオレンジカウンティ・オープンの3日目、プレスインタビューに呼ばれたレマは、ビール片手に質問に答えていた。
 ある記者から「明日の勝算は?」と聞かれたレマは、軽口風に「そうだね、ビールではなく」に続いて表題の「言葉」を放ったのである。

 レマは、自他ともに認めるプレーイボーイで知られ、デビュー時は
「レマにとって、ゴルフコースとは、女性と自分を5時間ほど引き離す場所ぐらいにしか思っていなかったはずだ」
 とジーン・サラゼンは回想しているほどだ。
 稀代の洒落者っだったウォルター・ヘーゲンの“2世”ともいっている。

 最終日、レマはボブ・ロスバーグとのプレーオフに勝ってしまう。ツアー初優勝である。
 勝利者インタビューではシャンペンが記者達にふるまわれたのはいうまでもない。その後、勝つたびにシャンペンを開けて、いつしか“シャンペン・トニー”と呼ばれるようになった。

 プレイーボーイとシャンペン――。この粋な結びつきが、レマの人気を高めた要素のひとつであることは間違いない。
 ただ人気だけでなく、実力も相当なもので、64年にはメジャーの全英オープンを制している。

 そして結婚もして、プレイボーイぶりにも年貢を納めて、これからという時、夫人と一緒に乗った自家用機が墜落。
 場所はイリノイ州ランシングのゴルフコース、7番ホールのウォーターハザード。
 ゴルファーがゴルフ場に墜落するという不可思議な運命を、どういういうふうにうけとめればいいのだろうか。32歳、あまりに早い死であった。

 光と陰。「言葉」が粋だっただけに、劇的な死がますます悲劇性を帯びるのだ。

■トニー・レマ(1934〜1966)
カリフォルニア州オークランドの生まれ。幼い頃に父を亡くし、家計を助けるため市営コースでキャディをした。この経験がレマを助けた。高校を卒業すると、海兵隊へ入隊。除隊後、サンフランシスコGCのアシスタント・プロとなる。58年、ツアープロとしてデビュー。初優勝は62年、オレンジカウンティ・オープン。63年にも1勝。64年には念願のメジャー、全英オープンに優勝。プレイーボーイとして名を馳せていたが、結婚し、これからという時、夫人とともに命を絶った。自家用機が墜落したのだった。落ちた場所がゴルフコースのハザードだったとは皮肉な運命であった。32歳。

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