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後年、球聖と呼ばれるボビー・ジョーンズは若い頃は短気であった。 自分の思う通りにいかなかったら、クラブを叩きつけ悔しがったという。
しかし、『パーおじさん』を発見し、ゴルフは人との闘いではなく、 自分とコースとの闘いとの本質を見抜いてからは、 冷静に自分を見つめる『傍観者』になった。
この言葉もそんな傍観者だからこそ、生まれたのだろう。 確率的にいえば、幸運と不運は一生の間には同じ数だけ存在するはずだというのは、 誰にでも理解できる理屈だろう。
しかし例えば、ショットが木に当たって出てきて OBを免れたという幸運などはたいていの人が、 ホツとするぐらいで感謝するまでには至らず、 当然のように扱って数にはいれないことが多い。
逆にナイスショットをしていながら、 ディボット跡に入ったりする不運はしっかりカウントし、悔やむ。 「ああ、あれさえ無かったら・・」と。
しかし、不運を悔やむ分の数だけ幸運があったはずなのである。 当然だと思っているから、カウントしていないだけである。 もしそのときの幸運を、次には不運が襲うかもしれないという分析があれば、 それからのゴルフには何らかの進歩があったはず、 ということを球聖は教えているのである。。
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