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スウィングにおいて、両手の役割は昔からさまざまにいわれてきた。 鬼才「トイチ」といわれた戸田藤一郎は右手至上主義だった。
「器用で力のある右手を使わんで、なんで飛ぶもんかいな! 左手はそえとくだけでいいんや」 が口ぐせでもあった。
165センチと小柄だったが、右手をつかったそのスウィングで、 パーシモン時代300ヤードを飛ばしたこともある。 全盛時代のジャンボ尾崎が不調になり、戸田に教えを乞うたこともあったほど。
戸田のもうひとつの武器はパンチショット。 向かい風のなか3番アイアンで、10メートルも上がらない低い球で200ヤードも飛ばし 「永遠に落ちない矢」と表現した人もある。
今も残っているスウィング写真は、インパクトの直前までクラブは『溜まって』 ほとんど地面に垂直になっている。
そして戸田のすごいところは、選手寿命の長かったことである。 19歳で関西オープンに優勝し、その38年後、 なんと57歳で同大会を勝っているのだ。
人生の足跡もまた異色だ。 女に溺れ、大酒をくらい、黒シャツ、黒ズボン、黒サングラスで試合に臨んだ。 練習は深夜。練習するのを人に見られたくなかったのだ。
名門廣野ゴルフ倶楽部にいたとき、 メンバーのクラブを売り払って追放されたこともある無頼派。 最後のときを迎えたときは京都の蕎麦屋の親父であった。
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