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スニードは生まれながらにして、 絹のような滑らかなスウィングを持っているといわれた。
それを武器にして勝ちも勝ったり82勝。 今日ほどツアー数はない時代の82勝だから価値は高い。 むろんこの記録は未だ破られていない。
しかし、何といってもスニードにとって痛恨の極みは、 全米オープンに勝っていないことだ。 そのためグランドスラマーという称号だけは逸しているわけだ。
スニードは全米オープンで2位になること4回。 1947年にはプレーオフで敗れている。
そして最後のチャンスだと思われた1953年は、 稀代のショットメーカーと謳われたベン・ホーガンの前に敗れ去ったのだ。 憎きはホーガンである。
パットで悩み始めた頃でもある。 イップスに襲われたのである。 そこでサイドサドル・スタイルのパッティングを考案したが、 イップス病を完全には克服できなかった。
冒頭の言葉はこの頃に発したのだろうが、 ジョークのなかにもスニードのため息が聞こえる。
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