「打つとき手に痺れがくるから、こうして、手をぶらぶらぶら〜って振って脱力させてみたの。でも、やっぱり打つと手打ちになっちゃうんだ」
俺から言わせれば、彼女が手打ちでなかったことなどないのだが、言うと不機嫌になるので黙っておく。そして、最近読んだゴルフ書を参考にアドバイスをした。
「――手打ちになったら股関節をほぐす――といいよ。『ボールを打たずに上手くなる』っていうゴルフ専用のストレッチを紹介した本に書いてあったんだけど、――股関節まわりの筋肉が疲れてくると、腰がだるくなったりしてボディターンが不十分になり、手打ちになって――しまうんだって」
「ふうん。手じゃなくて、股関節をほぐすといいんだ。どうやるの?」
――ひざと太ももを高く上げたら後ろから前へ、前から後ろへ股関節全体を大きく、ゆっくり旋回。腹筋に力を入れてバランスを崩さないように――する。
――大切なのは、ストレッチを行いながら――筋肉を意識することで、――右足なら股関節の外旋(前から後ろに時計回りに回転)の場合は尻の筋肉。内旋(反時計回り)の場合は、足の付け根内側の内転筋群を意識――する。
彼女は俺に教わった通りにストレッチすると、にんまりして、「なんだか下半身が軽くなって動きやすくなった感じ。いいショットができそう」とはしゃいだ。この笑顔がみたくて、ついついつまらない困ったも、助けてあげちゃうんだよなぁ。
ストレッチの効果が出たのか、彼女はしばらく落ち着いていたので、俺も安心して自分のプレーに集中することができた。
しかし、ここで決めたら今日初バーディ! という大事なパッティングの場面。何度も素振りし、ストロークの振り幅と球が転がりカップインする映像を徹底的に体と頭に叩き込み、さあ打つぞと構えた瞬間、「あ〜、困ったな」 俺は震える右手のこぶしを、左手でドウドウとなだめながら、「今度はどうしたんだい?」と爽やかに彼女のほうへ振り返った。 「次のホールって、バンカーがいっぱいあるんだよね。私、バンカー苦手だから入れたらどうしようって不安になってきちゃった」 そんなの次のホールへ進んでから心配しろよ! まだこのホール、俺もお前も終わってないじゃないか!! 舌の先まで一気に出てきた言葉を、俺は必死に飲み込んだ。 そしてまずは俺が2パット(パー)でこのホールを終え、彼女の4パットを見守ると、バンカーの攻略法について話した。4パットをまったく気にする様子のない彼女が、バンカーでしくじったからといってめげることなどないと思うのだが……それは心に閉まっておいた。 「『シングルになれる人の生活習慣』に、バンカーのコツは≪すくい上げ厳禁≫ってあるよ。――決してヘッドでボールをすくい上げるように打たない――ことだって。この一点だけにとにかく集中するようにすれば、バンカーが苦ではなくなるはずだってさ」
「へえ! それで、すくい上げないためにはどうすればいいの?」
「ひとつだけ守ればいいなら、私にもできそう!」 誰も見ていないことをいいことに、俺は彼女に向かい、片手でガッツポーズをつくるという、70年代の青春ドラマさながらの恥ずかしい格好とセリフで彼女を勇気づけた。彼女はこのようなオーバーなリアクションをすると、とても喜ぶ。本当に俺は彼女思いだ。
しかしこれで再び落ち着いてプレーできると思ったのも束の間、すぐに「あ〜困ったな」が聞こえてきた。
「いまバンカーのこと教えてあげたばかりなのに、どうしたんだい?」 こんなときのために、俺はキャディバッグの中に『この方法で生きのびろ! ゴルフ場サバイバル篇』を用意している。 負傷したゴルファーを運ぶとき、足首をねんざしてしまったとき、水ぶくれのマメができてしまったとき、炎天下で日射病になってしまったとき、脱水症状を起こしていると感じたときなど、≪プレー中の緊急事態≫での対処法が書かれているからだ。 ちなみに、ボールがモグラの穴に入ってしまったとき、ドライバーをパターのかわりに使うとき、パターをドライバーのかわりに使うとき、ボールの近くにワニがいるときなど、めったに遭遇しないユニークなケースも紹介されている。 俺は本と一緒に救急セットをキャディバッグから出すと、彼女の手をやさしく持って手当てしてあげた。ここまで気のきく彼氏はいないぜ、ほんと。 そんなこんなで、どうにかラウンドを終えた帰りの車内、唐突に彼女が、「あ〜困ったな」とつぶやいた。いつも通り、俺はにこやかに彼女に尋ねる。
「どうしたんだい?」 俺に聞くことか? 怒りよりも混乱した俺は、それでも彼女の笑顔のために身を引くべきか、いやいや俺といてこそ君は幸せなんだと彼女を説得すべきか、必死に考えた。 |
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